しほこの暮らし

40代 不妊治療と日々の生活のあれこれを綴っています。

初めての胚盤胞移植:妊娠判定陰性のその後

こんばんは、志帆子です。

いつも訪問いただきありがとうございます。

 

1月26日(日)午前中の妊娠判定で陰性後、

妊娠していなかったら、実家に帰ろうと決めていたので、

ブログを更新して、友達に連絡して会う予定を入れました。

それから、東京土産を買って4時くらいに帰宅しました。

疲れたけど、大丈夫みたいだなと思っていましたが、全然ダメでした。

彼が出張中で一人だったこともあり、夜、布団に入ってから、

涙が止まらなくなってしまい、そのまま朝になりました。

心臓が痛くなるくらい泣いたのは何十年ぶりだろう・・・。

ここまで目が腫れたことがないというくらいに腫れてしまいました。

やっぱり、期待し過ぎていた分、ショックは大きかったようです。

期待しただけショックは大きくなると分かっていましたが、

想像以上でした・・・。

移植に辿り着くまでに長い時間が掛かったし、

自分の中では最上級のグレードの卵ちゃんだっただけに

絶望感に襲われてしまいました。

お昼に、数日前に出産した友達に会う予定になっていました。

このまま家にいたらダメになるなと思い、午前中に

ずっと行こうと思っていて行けていなかった

2020年の1番のパワースポットと言われている

「鳩森八幡神社」に行きました。

もう神頼みしかないというような気持ちでした・・・😅

朝9時に家を出て、10時には鳩森八幡神社に着きました。

友達の赤ちゃんの健康のためのお守りと

自分と妊活中の友達のための子授けお守りを買いました。

泣き過ぎたからなのか、普段ラーメンを食べたいと思うことはないのですが、

急にラーメンが食べたくなり、帰りにAFURIに寄りました。

とても久しぶりの柚子塩ラーメン、美味しかったです。

そのあと、ケーキを買って、友達の病院に行きました。

友達は体外受精で2人目の赤ちゃんを授かったところです。

38歳の時に1回の採卵で5個の胚盤胞を凍結でき、

1人目のときは2回目の移植で妊娠しましたが流産しています。

そして、3回目の移植で出産まで辿り着きました。

私とは比べようがないくらいたくさんの辛いことを

乗り越えてきたんだろうなと思うと、

一回の移植がだめだったくらいで落ち込んでいる自分は

ちっぽけに思えたし、なんて情けないんだとも思えました。

友達に元気になってもらいたくて病院に行ったのに、

私が元気をもらう感じになってしまいました。

その後、3時くらいに家に着き、すぐに荷物を取って、

新幹線に乗るために品川駅に向かいました。

そして、夜の7時半には実家に着きました。

両親に会う前は、少し重たい気持ちだったのですが、

会ってみるといつも通りの元気な自分で接することができ、

ほっとしました。

両親と楽しく話をして、美味しい手料理を食べて

ぐっすり眠ることができました。

因みに両親は、もうとっくに不妊治療はやめていると思っていたみたいで、

不妊治療を続けていることに驚いていました・・・😅

両親は、彼と幸せならそれで十分という考えです。

 

翌日から、奈良、京都、大阪の子授け神社、寺巡りをして

両親、妹、友達と楽しい日々を過ごして、昨日東京に戻ってきました。

子授け神社巡り等のことは、後日ブログに綴りたいと思っています。

 

今、できることは、信じて諦めないことなんだろうなという

思いに落ち着いています。

次の卵ちゃんは、グレードが低いのでかなり厳しいですが、

院長先生は移植という考えっぽかったので、

やはり、今周期も移植したいと思います。

明日、D3に受診してきます。